猫の手も使いよう?
 



いつ雪が降り出してもおかしくはないほどに、きんと冴えて凍った夜気の中。
少々クラシカルで瀟洒な外観をしたその白亜の建物は、
夜陰の深まる中、味のあるコーティングをされたシフォンケーキみたいな漆喰の壁を
周囲の植え込みからのライトに照らされ、
ますますと印象的な風貌を浮かび上がらせていて。
近づくほどに洩れ聞こえるは、それは優雅なストリングスの奏で。
正門からゆるやかな傾斜に迎えられ、ロータリーを上っての車寄せまで進み入り、
今時に“衛士”と呼びたいような、折り目正しい所作態度の黒服が数人ほど立つ正面玄関へと降り立って、
車を預けたまま、招き入れられたるその先には。
クローク前に表情の薄い家令らしき初老の男性が立っており、
来賓の一人一人へと、一応の礼節に添うた会釈とともに隙のない目配りをそそいでおいで。
招待状を確かめ、自身の記憶と照合し、
歓迎のご挨拶を送ってから、さぁさ広間へと案内の者へその先を任せる。
ライトを据えた茂みの向こう、眼下に港町の灯火が広がる大窓を片側に、
段通の敷かれた広い廊下を進んでゆけば、
とうに去ってしまったはずの黄昏色が暖かく満ちたフロアに到着。
セミフォーマルに身を固めた男女が、穏やかな談笑を交わしており、
年齢層も幅広く、日本人と同じほど異国の方々も見受けられ、
此処だけを眺めると、どこか海外の屋敷の中と言われても通じるかも知れぬ。
立食スタイルのカクテルパーティーらしかったが、
人々の談笑を邪魔せぬ程度に奏でられていた音楽は室内楽の奏者を配した生演奏で。
主には政財界人たちだろう、富裕層の紳士淑女が
優美なグラスを手に手に、一級品の衣装や宝飾品で身を飾り、
いかにもな鷹揚な慇懃さで ほほと笑い合っており。

 “ああ、こういう社交界ってホントにあるんだなぁ。”

所謂 上流階級の皆々様の社交の場。
映画やドラマなんぞでしか見たことがない煌びやかな舞台の只中に立ちながら、
されど、夢見心地で浮かれても居なければ、慣れぬ空気にぴきぱきと緊張しているでなし。
慣れぬと言えばの堅苦しい装いが苦しいか、
時折襟の合わせへ指先を差し込みつつ、弛めようという所作を見せる彼だったが、

 “……う。”

緊張のあまりというより、
少しずつ累積してったものがとうとう我慢ならぬまでと至ったそれ。
息をするのも不快という息苦しさと、
その身がぐらぐらと揺れるほどの眩暈に襲われかけており。
立錐の余地もないほどという人の密度でもないせいか、
そんな様子は判る人には察知されるもの。

 「…? 如何しましたか?」

通りかかったウェイターだろうか、小声ながらも気遣うような声を掛けてくれており。
周囲へ気づかせぬためだろう、随分と間近から発したそれへ、
顔を上げながら、何でもありませんと気丈さを振り絞りかかったよりも先んじて、

「済まぬ。僕の連れだ。」

耳に聞こえのいいやや低めの声がすべり込む。
それと同時、二の腕を掴み取られ、
杖になって此方だと誘導してくれる人物には覚えがあって。

  え?え?え?

ただ、何でこんな場で出て来たのかに合点がいかず。
混乱したまま、それでも手際のいい誘導に引っ張られ、
人の気配がどんどんと薄くなるのを頬に感じておれば、

 「…ったく。具合が悪いならそれと伝えて現場から離れよ。」

引っ繰り返ってからでは遅い、衆目が集まってしまうぞと、
まるで最初から同じチームの身内であるかのような助言までくれた彼だったが、

「うん。気遣いはありがたいんだけど。」

気心の知れた相手の助力とあって、
緊張も薄まっての、悪心も何とか収まって来つつある中。
さりとてすっかり安心して良い場合でもないと、なけなしの使命感が起き上がり、

「まさかこのまま羅生門でぐっさりってんじゃなかろうね。」

俯けていた顔をやや上げれば、
いつもの外套より深みがあって高級そうな絹の黒、
フロックコートタイプのフォーマルスーツをまとった痩躯が視野に収まる。
自分はちょっと気張った背広なのに比して、
すっくと弓なりに伸ばした背条に添うてよく似合う、いかにも場慣れした装いなのが、
ああこういう場での護衛とか数えきれないほど手掛けてるんだろうななんて。
敦へすんなり思わせる彼こそは、

「人の群れへ酔ってる身で、いっぱしなことを言う。」

着飾った人々がぎゅうぎゅうと集っている場に付きものな、
香水や整髪料などの匂いに酔った敦だったのを、
彼もまた来合せていたらしい、ポートマフィアの上級幹部、芥川が、
如才なく庇ってくれての、広間の一角から、長椅子が置かれていた廊下へと出てくれており。

「任務か?」
「…まあね。」

ヨコハマを救うようなこれまでの彼らの活躍を、
上層部なればこそ知っていようというその階層が重ならないじゃあないながら、
それでも どう考えても敦のような一般人の青二才がこんな場へ招待されるはずもなく。
その点は重々判っていてのこと、問われたそのまま是と返す虎の子くんで。
いかにも骨董品ぽい意匠の、それは高級そうな長椅子へ 座れと手振りで示され、
出てくるときにテーブルから拝借して来たか、
ミネラルウォーターのそそがれたグラスをほれと差し出してくれる、
そちらもいつもとはさすがに趣が異なる装いの漆黒の覇者さんへ。
ありがとと小さく目礼を返して、
とりあえずは程よく冷えた水を口にする。
不特定多数が集まっている場、
しかも護衛役がみだりに物を飲み食いしちゃあ、
職務的にも護身的にもいかんのだが。
そういった方面への自分たちの手配りへも自信があるものか、
敦の眼前へほれと差し出した所作には剣呑さがなかったし。
そして、この彼が渡してくれたのならと素直に手にしたほど、
油断しまくりだった敦へ微かに目許を和ませた彼だったことが、
安全だという裏打ちになったなんて、

 “太宰さんはともかく、国木田さんからは叱られそうだ。//////”

だって頼もしいんだものと、誰へともなくの言い訳をしつつ、
その頼もしさに見守られている安堵もあってか、
喉奥にせり上がって来ていた悪心も何とか収まって。
ふうと一息ついたそのまま、
やわらかな背もたれへだらしなく凭れかかった虎の子くん。
ちょっぴり負け惜しみのように言葉を継いで、

「外回りは此処の警備の人で間に合ってるそうで。
 だったら、ウェイター役がいいと言ったのだけど。」

こぼした途端、そちらは立ったままの芥川が
間髪入れずという素早さで真っ当な反駁を入れる。

「愚者め、そっちの方が土壇場の応用が要って難しい。」

うん、国木田さんに同じこと言われた。
このクラスのレセプションにそうそう物知らずな新人ウェイターを送り出したりしないって。
再びしょんもりと肩を落とし、

「△△貿易の渉外を担当しているやり手な社員の弟で、
 後学のためにと連れて来てもらったけど、
 人の多さにはぐれてしまいました。どなたか兄を見かけませんでしたか?」

という、肩書というか脚本の下、潜入している彼であるらしく。
スーツの懐から取り出したのが一葉の写真。

「これがその兄です。」
「……

巫山戯るなといいたいのだろう、
抜き打ちで黒獣が飛び掛かって来たのを
これまた見事な呼吸で出した虎の爪にて、はっしと躱すのももはやお約束。
というのも、敦が懐から摘まみ出したのが
わざわざ紙に焼いた一枚の写真で。
そこにはシンプルな型の背広を着た蓬髪の美丈夫が、
弟くんの肩へ腕を回してにっこりと笑っておいでの他愛ない一幕が写っており。
ちなみに、わざわざ焼いた写真なのは、
携帯の中の写真だとコピーさせてと言われかねないのでというから、
誰の気遣いかはともかく、さすが万全。(笑)

「ボクだって無理がありますと言ったよ、似てないって。」
「……判っているなら諾とする。」

貴様が太宰さんの弟などとは烏滸がましいというお怒りか、
それとも単なる羨ましいという悋気の発露だったのか。
まま、彼ほどの練達がこの至近で的を外すなんて有り得ないので、
本気の殺気のほとびではなく、彼なりのツッコミだったようではあるが。

 “…なぁんて物騒な。” (ほんまにな)

それはともかく。
いつもの伝なら、外の庭は足りていても、だったら廊下や館内にでも配される役回りのはずが、
なんでまた こんなして仮装もどきのフォーマル着せられ、
フロア内の監視役に駆り出されている少年なのかといや

「…人手が足らないからだよ。」

政界の要人も幾たりか運んではいるが、
主催は一般企業の創始者一族の、
しかも表向きは一線から退いた“御隠居様”だというから、どちらかといや私的な宴。
軍警や公安の護衛を駆り出すのは
やはり招待されている芸能人狙いの取材にと、
屋敷の周縁に詰めていよう記者らに感知された場合、
やれ財界との癒着だの、やれ税金の無駄遣いだと糾弾されかねぬ。
そこでという依頼がいつもの伝で回って来たらしく、

「虎の手も借りたい状態だったのか。」
「…上手いこと言えてないからそれ

むっかりと頬を膨らませる敦だったが、芥川としては他愛ない愛想でしかないようで。
それよりもとその思惟が及んだのは

「人手が足らぬ、ということは…太宰さんも?」
「いや、フロアには、、、じゃあなくて。//////」

それは間のいい応対を仕掛り、はっとして言いよどんだものの、

「指揮車か別室でモニターによる監視だな。」
「〜〜〜〜。」

続けずともと読み取られ、
その通りだというのを誤魔化す術はもっとなかった敦としては、

「フォーマルは着ている。物凄くカッコいいから後で電子書簡で送ってやる。」
「そうか。」

さも当然という応対の声へ、
せめてもの意趣返しに自分と腕組んでるの撮ってやろうかなんて思ったものの、

 ふわり、と

いい子いい子と撫でてるつもりか、頭に乗せられた手の暖かさに、

 「〜〜〜〜。///////」

そんなしょむない意地悪は辞めとこうと思い直す辺りが他愛ない。
人手不足だといったくせに宴の場から離れていていいものか、座ったままの敦なのへ、
そちらも任務中だろうに付き合いよく共にいる芥川だったが、

 「それにしても人に酔うとは珍しいな。」

ぽつりと訊かれ、それへは敦自身もうんと頷く。
虎の感応は鋭敏だというのは知っている。
どちらかといやネコ科は動体視力に長けており、
イヌ科に比すれば嗅覚は鈍いが、それでも人に比べりゃあ破格の感知力で。
ほのかな汗の香でどれほど完璧に気配を消した存在でも嗅ぎ出せるほど…である反面、
あまりに刺激の強い匂いに対せば、中てられて酔いやすい。
それをこの黒の青年も察せられたのは、日頃のお付き合いあっての把握だろうと、
敦の側も腑に落ちないらしく、

「映画館とか見本市とか、結構混み合ってるところへだって出掛けてたし。
 異能は意識して感度を上げない限りは出てこないよう、制御できてたはずなんだけどな。」

百貨店への買い物や地下鉄への昇降だって問題はなかった。
よって他でも警護や護衛の任には付いており、
今宵ほどの不調が現れたなんて初めてのこと。
う〜〜んと唸ってしまっておいでの弟分の、
いかにもな落ち込みようへ薄く笑った芥川が目をやったのは、
廊下のずんと先の端、エントランスホールの明るみで。
そちらには、著名な華道作家の手になる大きな生け花のオブジェが飾られており。
ほのかなそれだが、それでも生花ならではな自然の香りが此処まで届く。

 「あれは平気か?」
 「え?」

こちらは見ぬままなことで、その視線の先を観よと促され、
顔を上げた敦もオブジェを見やったが、

 「うん。自然のものはね、
  よほど噎せ返るほどでもない限り気分が悪くまではならないし。」

まだ季節じゃあなかろうに、桜花の枝まであった豪奢な作品は、
今は人影もない空間で間接照明に照らされ、不自然な華麗さを惜しみなく晒しておいで。

「そういや、広間の中って途轍もない量で1つの匂いだけが目立ってた。」

きっとそれだから中てられたんだなぁなんて、
手にしたままのグラスを再び口にした敦の、何の気なしの一言へ、

「……。」

ふと、芥川が視線を落とし、何やら考え込んでいたが、

  ヴ―ン、ヴ―ン …と

マナーモードだろう、携帯端末が着信したらしい唸りが聞こえて。
弟御から完全に背を向けてスーツの懐から端末を取り出した芥川と同様に、
実は二重だった唸りの元、敦の側でも自分の携帯を掴み出している。

「…はい。」

済みませぬ、場を離れておりましたと小声で謝せば、

【いやイイんだ。済まねぇな、敦に付いててくれてんだろ?】

同じ会場内のどこかから見えていたものか、中也の声がねぎらい、

【それより、敦の容態の原因ってのは…。】
「然り。」

そんなやり取りを交わす傍らでは、

【敦くん、具合はどうだい?】
「す、すみません。だいぶ落ち着きました。」

実は…何てのは白々しい、
警護任務には付き物なインカム型の通信機を耳へ装着していた敦へは、
芥川が接近してきたことに何を察したものか、
そのまま話を続けて何か拾ってと太宰から言われていたらしく。
よって携帯へのやり取りは見せかけのそれだったが、
いかんせん、何か拾えたのは
どちらかといや “敦の発言から”だったというのが太宰にはくすぐったくてしょうがない。

 “恐らくは、向こうの狙いも似たようなところだろうな。”

この宴の陰で、実はよからぬ取引が構えられているらしく。
武装探偵社へは脅迫もどきがあったのでと漫然とした警護が依頼されていたが、
ポートマフィアにはもっと具体的なそれ、
主催である某高名な化粧品の会社がのっぴきならない脅迫を受けており、
いかんせん、それの詳細までは把握できてない上層部から、
その根を掴んで何なら排除してくれと、結構乱暴な依頼を拝命していたらしく。

 “オーガニック成分を売りにした、だからこそややお高いコスメを売り出すはずが、
  実は、既成の人造成分ばかりで調合された代物だったとはねぇ。”

イマドキは香りを楽しむというのが多岐にわたっていて、
高価なトワレを求めずとも、柔軟剤で十分心地のいい香りを楽しめる。
となれば、欧州の有名どころに出遅れている後進ブランドとしては
機能性で突出でもせぬ限り、客層の心はつかめぬと、
アレルギーのある方でも安心という“自然由来”に着目し、
それは高貴で品のある香りをお題目とし、華々しく打って出たはずなのに。
そこの絡繰り、実は人造です、なので原価もお安いです、
中間で浮いた金は我らがいただきましたという黒ネズミと、
それを知った外部からの脅迫者…という構図なのへ、

【敦の鼻が役に立とうとはな。】
「然り。」

宴の前のレセプションにて、モデルや贔屓筋へ配られたのが問題のコスメの香水で。
それを身にまとった女性が多かったので、虎の子くんの鼻がいかれてしまい、
結果としてこの運びになったらしく。

【となると、狩るのはご隠居の身内じゃあなくて済みそうだな。首領にその旨打診してみる。】

欲心だした黒鼠ら、此処へ褒美にと招かれている社員や研究員の中に、
無様にも尻尾を掴まれ脅迫されてる困った顔ぶれがいて、
上層部にばらされたくなければとの脅迫を受けているらしいこと。
まだ憶測段階なれど、ほぼ確定に違いなかろと、
大人の皆様にはあっさり暴かれた真実へ、
だがだが、そうという推測の大元だというにさっぱり気づいてないらしい
銀白の髪、さらさら揺らして小首を傾げる虎くんへは、

 【敦くんは、さりげなく撤退準備に入っていいよ。】
 「はい?」
 【いやなに。】

そろそろお帰りになるお若いクチの客人が出よう時間帯だから、
キミもその第一陣に紛れて出て来なさいと。
無難な撤退になるよう、策を授けてくれたらしい太宰なのへ、
はいとホッとしたようにいいお返事をする。
どういうやり取りがあったのか、見えるようだと苦笑をし、

「ではな。」

芥川もまた、通話が済んだ携帯をしまいつつ、その場から立ち去ってゆこうとし、

 「あ…、ありがとな。」

慌ててそんな声を掛ける敦へ、
後ろを向いたまま、だが、上げた手をささっと振って見せるところはご愛嬌。
何とも愉快な運びと、それと運ばせた立役者だというに今もって流れを知らぬままな虎くんと。
そんな人々を見下ろす下弦の月が、やさしく照らすヨコハマの夜は、静かに更けゆくばかりなり…。




     〜 Fine 〜    18.01.25.


 *書きたいところだけ、パート2でした♪